海の響きを懐かしむ

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「いき」の構造

九鬼周造 「いき」の構造

「いき」とは何かについて多角的に論じた本。自分が今までいろんなものを見聞きしてきて、「いき」がどれほど現代において希少なものか、また巷にあふれる「いき」がいかに嘘くさいか、痛感した。いきなりだけど最後の3文を抜粋

「いき」は武士道の理想主義と仏教の非現実性とに対して不離の内的関係に立っている。運命によって「諦め」を得た「媚態」が「意気地」の自由に生きるのが「いき」である。人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。「いき」の核心的意味は、その構造がわが民族存在の自己開示として把握されたときに、十全なる会得と理解とを得たのである。

下記にまとめてみたが、とにかく「媚態」がないことには「いき」は生まれない。この媚態の定義がまだ自分の中でつかめていない。色気とは違うのだろう。花魁の文化を正しく記述した本か映画を観てみようと思った。また、永井荷風がところどころ引用されていたので読んでみたい。


<「いき」の内延的構造>

  1. 媚態:いきにおける基調的要素
  2. 意気地:武士道的要素
  3. 締め:仏教的要素

2と3は一見矛盾しているが、それぞれ媚態と結合することで「いき」に内包されることが可能。否定による肯定。媚態のための媚態。


<「いき」の外延的構造>

「いき」に関連する単語を以下のようにクラスタリングしている。単なる分類ではなく、タテヨコにそれぞれ関連し合っているので理解がちょっと難しい。文庫の表紙にあるような下の図を用いているが、これだけみてもなにもわからない。w
f:id:mitsuba3:20110419204043j:image

全部で8つの単語が出てくる。また、明確な言及は無いがおそらく 意気≠いき としている。

  • 人性的一般性に基づくもの - 対自的(価値的)- [上品(有価値的)|下品(反価値的)]

              -対他的(価値的)- [派手(積極的)|地味(消極的)]

  • 異性的特殊性に基づくもの - 対自的(価値的)- [意気(有価値的)|野暮(反価値的)]

             -対他的(価値的)- [甘味(積極的)|渋味(消極的)]


【対他性に関する価値】

上品-下品

社会的階級の意味から人や者の性質を示す意味へ。
下品→げひん、ではなく げぼん。「上品無寒門 下品無勢族」

いき 上品
共通点 趣味を卓越 趣味を卓越
媚態 あり あり
下品との関係 同じ関係に見られやすいが、価値の有無がある。いきは有価値的 対立。上品は有価値的


【対他性に関する価値】

派手-地味

派手 地味
性質 積極的 消極的
媚態 あり なし
諦め なし あり


【対自性に関する価値】

いき-野暮

  • 具体的な違いは以下の2点の有無
  • 特殊な洗練 の有無
  • 異性的特殊圏内の公共圏内の洗練 の有無(つまり、あか抜けているか)
いき 野暮
価値 あり なし
特殊な(=異性的特殊圏内の公共圏内の)洗練 されている されていない
あか 抜けている 抜けていない


【対他性に関する価値】

甘味-渋味

地味≠渋味
永井荷風「歓楽」


<趣味体験>

「いき」とは民族的に規定された趣味であり、悟得の形で味解される。
いわゆる5感のようなもので我々は世界を知覚するが、「趣味」を知覚するときは2つの理解の仕方に分けられる。

  • 味覚・触覚 : 本体の趣味、体験を形成する
  • 聴覚・視覚 : 感覚上の趣味


いきは客観的表現の象徴にすぎず(自然形式、芸術形式)からは理解されない
→個人的もしくは社会的意味体験としての「いき」の感情移入によって初めて会得される


個人の体験の、芸術的客観化
例)ドイツ民族のバロック、マショオ、ショパンらの作品
個人的または社会的体験が、無意識的に、しかし自由に形成原理を選択して、自己表現を芸術として完了する。


いきの芸術的表現の難しさ。
いきの理解が抽象的理解にとどまり、具体的な民族的色彩が無い


西洋には「いき」は存在しない。
「いき」はダンディズムとは似て非なるものである。
(「いき」だけでなく)何らかの{趣味/概念 etc...}は、民族的価値を持つ場合にはかならず言語の形で開かれている
つまるところ、いきの研究とは民族的存在の解釈学である。


<読後の雑感>

読み終わって、私が今まで体験したものごとで「いき」だったものは何か考えた。平成の現代において「媚態」「意気地」「諦め」を完璧に兼ね備えた人やモノ、作品はやはり皆無な気がする。筆者も述べているように、「いき」を芸術的表現に落とし込むのはとても難解なことだから。でもひとつだけ、矢野顕子が思い浮かんだ。とくに最初のアルバムは、間違いなく「いき」の結晶であろう。私も一人のJapanese Girlとして、「いき」だねと呼ばれるような仕事や研究がいつかできたらいいな。