海の響きを懐かしむ

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反解釈

反解釈 (ちくま学芸文庫)

反解釈 (ちくま学芸文庫)


たまたま書店で「わたしは生まれなおしている」を立ち読みして惹かれて、調べてみたら自分のテーマに近いものがありそうだったので「反解釈」を読んだ。マクルーハンと同時に読んでいて、かなり、通じるものがあると思った。ざっくり言って、芸術作品をカタチじゃなくて中身で見ようぜというのが大きな主張。最初にそうした意見を述べたあと、さまざまな作品(カミュからゴダールビートルズまで)を取り挙げて彼女なりの反解釈を展開する。

気になったのは、「<キャンプ>についてのノート」で掲げているキャンプ文化という考え方。60年〜70年代によく言われた言葉らしい。ソンタグによればキャンプとは感覚の一種で、人工的で極端、不自然なものを好み、寛容で愛情深い感じ方をするもの、とある。こうこうこういうものがキャンプだ、といくつか例を挙げているのだけど、なかなかピンとこなかった。解説を読む限り、日本語としてはキャンプは死語だけれども、B級映画やロック音楽といったサブカル的な文化が市民権を得てきたことはキャンプの日常化だ、とある。具体的によくわからないので調べたら、wikipediaに載ってた。

キャンプ (様式) - Wikipedia


それから最終章の「一つの文化と新しい感性」に、マクルーハンとフラーへの言及があった。いわゆる文系の世界と理系の世界に世の中が分裂したことを問題視するという典型的な主張があって、それらを乗り越えようとする新しい潮流に組する人々として、この二人を含む何名かを挙げている。このような「新しい感性」の特徴として、文学以外の場で主張を行っている(映画、社会学、音楽、建築など)ことを特徴づけている。感覚を大事にするという主張は一貫しているけど、かなり難しかったので、何度かまた読む必要がありそう。この本は5人の人間がそれぞれバラバラに訳しているのだけど、そこまで違いを感じなくて、むしろ一貫した彼女の核のようなものが感じられた。決して簡単ではないけれど、好きな文章だと思った。何より、私が読んだ欧米人の思想系の人の中ではかなり最近の人なので、個人的に追いかけているオートメーションの重要性や五感の利用、という慣れたフレーズを言ってくれていたことに安心した。

解釈は芸術作品の感覚的経験を当然の前提として、そこから出発する。だが、今日、これは前提とはなりえない。都市環境の中でわれわれの五感を襲っている雑多な味覚や嗅覚や視覚に加うるに、各人に提供される芸術作品の極端な増加を考えてみるがいい。(中略)

今重要なのはわれわれの感覚を取り戻すことだ。われわれはもっと多くを見、もっと多くを聞き、もっと多くを感じるようにならなければならない。