海の響きを懐かしむ

観たもの聴いたもの読んだものの記録と、日記など

豊かさの論理

細野晴臣分福茶釜

細野晴臣分福茶釜


最近の寒暖の差の激しさや精神的な息切れも相まって、体調を崩した。一昨日あたりは映画も本も受け付けられないくらいウダウダしていたけど、今日は何か読むかと思って、積ん読本の中から細野さんを引き出した。もともと大学の生協の平凡社ライブラリの棚に並んでいたのを買ったもの。こりゃ自分が買わなければ誰も買わないだろうと思って購入した。なんといってもコピーが「ぼくはいつもぶれている」である。不思議なもので、特にこういう落ち気味なとき、転機を欲しているときは、読むべき本がむこうから寄ってきてくれるような気がする。線を引きすぎてキリがなかった。良い本です。他に、最近読んだもの。

ばかもの

ばかもの


Twitterで何人かの方が推していたので、絲山秋子のばかものを読んだ。遠藤周作みたいだと思った。ドロっとした部分に引き込まれていく感覚がそれに似ていた。

方法序説ほか (中公クラシックス)

方法序説ほか (中公クラシックス)


正直方法序説だけでいっぱいいっぱいで、哲学の論理は途中まで読んで大学に返した。言葉は難しくないんだけど(フランス語で書かれたってくらいで)、理解に時間がかかって3回くらい読んだ。はじめから途中まではいいのに、神の証明の話題になるととたんに失速してしまう印象。


ところで、読書やモノを書くことに関する贅沢さについて考えている。時間をかけて丹念に調べ上げ、綿密な考察と推敲のプロセスのもと書かれた文章は、贅沢品である。私(達)は、少し「わかったこと」があるとすぐにこうしてblogに記したり、たかだか数ページの論文にまとめてはずかしげもなさそうにしている。けれども、それは本当に豊かな行為なのかと、偉人と呼ばれる人々の著した本を読むと感じる。自分は死後になにかを遺したいとは思わないけれども、一生をかけて追い求め、せいぜい一冊か二冊の本におさめることができれば、贅沢な人生だったと言えるのではないか。そんなことを考える、夏の始まりの日。