海の響きを懐かしむ

観たもの聴いたもの読んだものの記録と、日記など

感じられるままの世界から一歩抜け出すために

ここのところずっと、自分の頭の中が飽和状態というか、何か壁がある気がして悩んでいたのだけど、自分なりにそれを抜け出せた気がしたので、その過程をメモしておく。


飽和状態というのは、具体的には日々の頭の中の思考の流れ・趣味趣向が偏っているのでは、という悩みだった。ここでも再三書いているように、私はおおざっぱにいうと日々の暮らし・日常にまつわることを考えることが好きだ。読書や音楽、映画に触れるときもその思考に関係しそうなものだけを最近採り続けてきたような気がする。

でも先月、下北沢のヴィレッジヴァンガードの書籍コーナーのある棚をみたときに呆れてしまった。数々の本や雑貨がひしめきあうその店の中の、ある一つの本棚だけに、わたしの好むものがやたら密集していたのだ。茨木のり子さん、谷川俊太郎さんの詩集はもちろん、幸田文森茉莉のエッセイ、花森安治氏を含む暮しの手帖社の書籍、役立ちそうな料理本などなどがずらりと並んでいて、その狭さに微妙な気持ちを抱いた。自分が心地よいと思うもの、好んでいるものが小さな一つの本棚にあまりにもコンパクトに、きれいに収まっていることへの気持ち悪さ。もしかしたら自分は、世の中にある大小さまざまな思考の枠組み、大げさに言えば「知」と呼ばれるようなもののごく一部を選り好んで、そのなかに閉じこもっているのではないか、そういうふうに思った。
お菓子を食べ続けると当然太るように、頭が好きなものだらけで脂肪がたまっているように感じた。もちろん好きなものごとがあって、それに囲まれていると感じられるのはよいことなんだろうけど、なんだか一人で勝手に閉塞感を感じて悩んでいた。

この飽和状態を脱するために、今まで苦手に感じていたものに敢えて触れてみるのはどうだろうかと考えた。気持ち悪くて、暴力的で、ロマンチックじゃなさそうなもの、めんどくさそうで複雑なもの。無意識的に避けてきた、やくざ映画とかミステリーとか、そういうものに触れてみたらこの状況を打開できるのかなあとか、バカみたいだけどそう思った。実際にいくつか観てみたりしたのだけど、でもなんだかキリがない。

そこではたと気がついたのは、この閉塞感はつまり勉強不足から来ているということだ。わたしの趣味や、何が気持ちよいと思うかなんて、どうにもできないことだし変わらないことだ。この小さい脳みそのなかで考える枠組みが変化しないというのは、ひとえに勉強が足りないことに尽きるのであって、いまの自分に足りないのは苦手を克服するよりも知らないことを学ぼうとする姿勢なのだ。知っていること、理解していることがひとつでも多ければ、同じテキストや映像を見ても感じられることは違うはずだ。


まあ、何を当たり前なことを言ってるんだという感じだけど、これに気づいたとき少し衝撃だった。でも10周くらい廻ったあとに前が開けたような気がした。今まではこういう類いの悩みは、だれかに話をして聞いてもらいながら徐々に答えを発見していくパターンが多かったのだけど、そうはせず、とりあえず自分の内部だけで考え抜いたことは久しぶりな気がして、なんだか妙に気分が良くなった。

なんだかやっと、腰を据えて、やるべきことに取り組めているような気がしている。