海の響きを懐かしむ

観たもの聴いたもの読んだものの記録と、日記など

liberté

フランスの歌手 ZAZ 「Je veux」日仏歌詞付き

例えば、本当は煙草を愛するのに、社会の中で煙草を吸えるスペースがないから、禁煙するというのは、自由ではない。

レバ刺しが好きなのに、法律による規制で食べることができなくなるのは、自由ではない。

それは、個人的な好き嫌いとは別次元のもののはずだ。人に迷惑をかけなければ何をしてもよいのが、自由。(異論は認める、というか、誰かと喧嘩をするつもりは全くないのだけど、でも基本はそうだろう。)

 

人間関係にともなう痛みや苦しみを恐れるあまりに、他人を愛し/愛されることから逃げることも、たぶん自由ではない。

君に会いにいきたいのに、傘がないから何もしないのは、自由ではない。

 

 

自由、真実、愛といった言葉については、わざわざ説明など一切要らないと思ってきた。そういうのって、考えるまでもなく目を閉じて耳をすませば、全てがわかることだと思っているから。

いまもその認識を改めるつもりはない。しかし世界は広いのだ、説明しないといけないこともある。少なくとも、世界におけるinterpreter、異なる真実の間に立つinterfaceになることを望むのなら、「当たり前」を捨て、一度言葉にする必要がある。

 

それから、日々の生活や何気ない人々の動きの裏には、最終的に資本主義という化け物が潜んでいることも、文字で知らなくてはいけない。

仮に見田宗介氏のロジスティック曲線の議論に乗っかったとして、我々が、文明の変化点に本当に立っているのだとしたら、なおさらだ。

 

 

このよくわからない世界の仕組みを、見過ごしたまま死ぬことはできないし、仮にわかろうとする過程でズタズタに傷ついても、かまうもんかと今は思う。

誠実なままでくたばりたい。

 

だから君の町に行かなくちゃ、雨にぬれ。