海の響きを懐かしむ

観たもの聴いたもの読んだものの記録と、日記など

CDというメディアと、体験としての音楽について

音楽業界はなぜ縮小したか?

 を読んで、おもったこと。

 

私は、CDやDVDがかっこうわるいメディアになっても、今のところ買うのをやめるつもりはないなあ、とおもう。

インターネットをヘビーに使うようになってから5年ほどが経つ。確かに頻度は減ったと言えども、やっぱり数ヶ月に一度渋谷タワレコに新譜を求めにいったり、御茶ノ水のディスクユニオンで掘り出し物を探したりするのを、やめる気は全く起こらない。

 

理由は3つある。

 

ひとつ目は単純で、過去の膨大な音源が、CDというメディアにほとんど収められているから。新譜を追いかける楽しみと同じくらい、昔の音楽を聞く喜びだってある。手軽にmp3として取り込めるとはいえ、中古CDへのニーズはまだまだ大きいはずだ。

 

ふたつめは、気に入った作品を、目に見える「実体」として置きたいということ。

 

いつか2ちゃんか何かで、「CDを、CDプレーヤーで聞かないからCDが売れないんだ」という発言を読んだことがあるけれども、最近は家にいるときは、なるべくCDを回して音楽を聞くようにしている。棚から気分にあった盤を選び、取り出し、ディスクをセットし、再生ボタンを押す。歌詞カードを見たり、目を閉じたり、他のことをしたりする。こうした、ある幅を持った時間の流れの中に、「実体としての音楽」がセットされている。指先でタッチディスプレイやパッドを撫でるだけの動きにはない、肉体全体を使った行為が、そこにはある。

 

21世紀にCDを買うというのは、そういう、ささやかな「体験」も含めて日常に取り入れる、ということなのだと思う。個人的には、Youtubeなどの動画配信サイトや、iTunesで購入して聴く音楽には、この部分がどうしても足りないと思ってしまう。誤解を恐れずに言えば、バーチャルなのだ。身体性がない。

 

みっつめは、作り手やよい作品に対しては、きちんとお金を出したいということ。

 

資本主義経済というシステムに組み込まれている以上、きちんと対価を払うことで、作り手にお金が入り、それが次のよい作品作りに繋がるはず、というポジティブなループを基本的に私は信じている。これは、パッケージ化された作品に限らず、ライブに行くことも同じだと思う。

 

もちろん、作品にかける金額とできるモノの良さが必ずしも比例するわけではないのはわかっている。お金がないところから生まれる創意工夫もあると思う。それからCD一枚の投資のうち、作り手本人にどれだけのお金が行くのかはわからないし、現在のレコード会社・音楽業界というシステムにも多少の疑問はある。アルバム1枚で3000円前後というのはやはり高いし、非効率なシステムではあると思う。

 

そういった事情を鑑みた上でも、しかしやはり、現状はCDというメディアで産業としての音楽は回っている(ように見える)。広い意味で文化の発展につなげるためにも、お金を払うことでそこにコミットするというのが、一般の消費者(ユーザ)として最も手軽で、かつ効果のある手段だと思うのだ。

 

・・と考えてから、やがて近未来にほんとうにCDというメディアが滅びそうになったときのことを、想像してみた。

 

私個人としては、本屋で音楽も売るようになればいいのだと思う。

具体的には、ハードカバー本・文庫本・雑誌・マンガ。。ハードはなんでもよくって、その中には、歌詞とかブックレット、アーティスト写真とかが載っている。RFIDなんかもついていて、何らかの形でそのモノがあるヒトの所有物になったことを認証する。そして家に帰って、本を開いたと同時に、自分のパソコンやケータイの中に音楽がやってくる。みたいな。

 

ファッションや一時的な消費としての音楽だけではなくて、ひとつの読書体験のような、エクスペリエンスとしての、「音楽を買う」という行為。そういう未来になったらいいなとおもう。

 

 

ほんとうに大好きで、からだの細胞のレベルから愛しているバンド・スーパーカーの解散ライヴDVDを観た。7年越しに購入したのに、一月以上なぜか観ることができず、寝かせていた。

2月のあの日、STUDIO COASTに居合わせることはできなかったけれど、でもこうして今、彼らが音ですべてを語ってくれていたことがわかって、それがとてもうれしい。画面の向こうから、大きなおおきな祝福を受け取ることができたのだ。

 

LAST LIVE 完全版 [DVD]

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