海の響きを懐かしむ

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神話

幽霊―或る幼年と青春の物語 (新潮文庫)

いま、個人的に注目している作家・赤坂真理氏が、自身のブログでこんなことを言っている。

 

ひとつたしかなのは、私たちは、あまりに大量の死に対して、物語(言葉)を与えなかったということだ。
あまりに大量の死に直面した時こそ、人は新しい物語を必要とするのに。
「神話の更新」と言ってもいい。
それをするかわりに物質やマネーを崇拝した末に、今の状況はある。

 
「生きてゆくことは、自分の物語をつくること」だと教わった。家で、会社で、学校で、ライブハウスで、喫茶店で、個々の経験や思考を一つの織物に編み上げること。ファッション・食・酒・本・映画・音楽・・・文化の一つの役割に、たましいの神話をかたちづくるための道具、ということがあると思う。自分をここから転落させる。もしくは引き上げるための、物語。
 
先日、ある場所に旅行をした。その時、いくつかの小さな偶然によって、自分のたましいの神話がつくられていると感じる瞬間に立ち会うことができた。静かに、心から感動したのだが、残念ながらそういうことは言葉にならない・・。
 
帰宅して、北杜夫の「幽霊」を読んだ。書き出しからずっと、同じ夢をみているのではないかと錯覚するような言葉が続く。いつか、もし忙しさに殺されかけるようなことがあったら、ブランデーを飲みながら読み返したい。
 
人はなぜ追憶を語るのだろうか。
どの民族にも神話があるように、どの個人にも心の神話があるものだ。その神話は次第にうすれ、やがて時間の深みのなかに姿を失うように見える。――だが、あのおぼろな昔に人の心に忍び込み、そっと爪跡を残していった事柄を、人は知らず知らず、くる年もくる年も反芻しつづけているものらしい。そうした所作は死ぬまでいつまでも続いてゆくことだろう。それにしても、人はそんな反芻をまったく無意識につづけながら、なぜかふっと目ざめることがある。わけもなく桑の葉に穴をあけている蚕が、自分の咀嚼するかすかな音に気づいて、不安げに首をもたげてみるようなものだ。そんなとき、蚕はどんな気持ちがするのだろうか。
『幽霊』 北杜夫 新潮文庫 P.5
 
読み終えたいま、次はいよいよ赤坂真理「東京プリズン」を読みたいと思う。