海の響きを懐かしむ

観たもの聴いたもの読んだものの記録と、日記など

詩と死と時間

美しい行動とはなにか考えたとき、頭に浮かぶのは、いずれもフィクションのなかのそれだった。『トーマの心臓』冒頭、『桜の森の満開の下』のあの世にも美しく哀しいラスト、『ノスタルジア』での第九、『ツィゴイネルワイゼン』の電話。そこに共通するのは死のイメージで、それに気づいたときなんだか安堵した。同時に自分の単純さに、心配にもなった。美と死を直列で結ぶのは、愚直でいいけど物足りなくもある。

 

肉体的な死は時間を止めるだけだが、そうでない死というのもあって、前述の作品で扱われているのはそういうことなのだろう。そういう<死>は、宇宙的な広がりを持つ、行動なんじゃないか。行動は時のなかにあって、断面だけでは存在し得ない。年々去来の花を忘るべからず。この時分時分の、おのれと身にありし風体を、みな当芸に、一度に持つことなり。

 

そういうことを、茨木のり子『行動について』を読み返して、考えた。

童話屋の「おんなのことば」というアンソロジー詩集の、真ん中あたりに、ひっそりと入っています。