海の響きを懐かしむ

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ムーランは風車

ドン・キホーテ (岩波少年文庫 (506))

ドン・キホーテ (岩波少年文庫 (506))

セルバンテスドン・キホーテ」を読み終えた。きっかけは、ボルヘスのエッセイを良く理解するためだったけど、読み終えてみて、昨年マクルーハンを読んでから思考してきたことに直結して、非常に面白かった。一言でいえば、これは「グーテンベルクの銀河系によって狂った男の物語」だった。

主人公は、騎士道小説の読み過ぎで、自分自身も騎士と勘違いするところから話が始まる。まず、その狂気の転がり方に圧倒される。最初のほうは「とにかく狂ってる」としか感じなかった。しかし彼の行動は常軌を逸しているけれども、その口から出る言葉は極めて明瞭で、示唆的なのだ。つまり彼は、文字が溢れる視覚世界で正しく狂った人間=最初の近代人、として描かれているのだと解釈した。(ちなみにこの本が出版された1605年は、活版印刷が登場してから150年後だ。)

対して、従者のサンチョは文字が読めない。つまりマクルーハン的に言えば、活版印刷以前の聴覚世界に生きる人間だ。主人からの手紙を、手下のものに音読させる場面が、ふたりの違いを端的に表していると思う。


最後、ドン・キホーテはあることがきっかけでその狂気から覚める。個人的にはその場面で、身体の利用が強調されている気がした。つまり、視覚でも聴覚でもない部分、触覚がキーになっているのかな、と思った。

「身体は世界とあなたのインタフェイス」とある人は言っていたけれど、計算機と生きる我々は身体をどう使っていくべきなのだろう、ということをずっと考えている。