海の響きを懐かしむ

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言語と行為(4)

第三講に続いて、不適切性の理論に対する違反例を挙げている。前回が、第二講の図のA・Bの事例だったのに対し、今回はΓ1・Γ2(不誠実・反則・違反)に属するものを取り上げている。

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(1)感情:(行為遂行的発言に)必要とされる感情が欠如しているケース
ex.「お祝い申し上げます」と言いながら、自分は喜びを感じていない

(2)考え:(行為遂行的発言に)必要とされる考えが欠如しているケース
ex.「私は彼が無罪であると判決して解放する」と言いながら、有罪と信じている

(3)意図:(行為遂行的発言に)必要とされる意図が欠如しているケース
ex.「私は賭ける」と言いながら、掛け金を払う意志がない


↑これら三点に関する3つの注意

(Ⅰ)この三つの区別は不明確であり、また互いに組み合わされて用いられるのが通例
(Ⅱ)「xxであると実際に考えること」と「xxであると考えるところのものがそうであること」は区別せねばならない

  • Ⅱにおいて、これらが間違っている場合、別の不適切性が生じる

a:不適当
状況・対象・人物などが、その手続(実際に行なっている動作)に対して適当でない場合
ex.自分のモノであると考えていながら、実際は他人のモノであるモノを、人に与える場合

b:悪い助言
ex.助言を行いながら、それが相手のためになると思っていない場合

c:不誠実
ある発言に対して、いかなる見解を持っているかということがほとんど問題にならない場合
ex.「判定宣告型」と筆者が呼ぶ遂行的発言
「私は被告が有罪であると判定する」という宣告や、審判の「アウト」という発言など
→無効でも、不適切な行為ないので、どの不適切性の範疇にも属さない


(Ⅲ)意図に関する諸問題

a:(再び登場)遂行的発言に意図が要求されるとき
以下の2つを区別すべき
・後続すべき行為を遂行しようという意図
・現在の行為を完了させようという意図(=適当な発言でなあなあにすます)


b:自分の意図通りのことを行わない場合の、不適切性の態度と様態はどんなものか?
ex.「I shall..(私は〜のことをするであろう)」


ある特定の行為遂行的発言が適切であるためには、ある特定の陳述が真でなければならない

  1. その真でならない陳述とはどんなものか?
  2. そうした陳述と行為遂行的発言の間の関係の間に何があるか?


【一つの陳述が別の陳述の真理性を含意するやり方】

(1)帰結する
1つの命題が真であることが別の命題が真であることを帰結している
→「私は約束する」が、「わたしは〜をなすべきである」を帰結するか?
→【陳述と行為が並行的に対応している】


(2)含意する
主張することは信じることを含意している。
ex.以下の2つは全く別物。なぜなら約束も主張も手続きだから。

  • ある主張が不誠実である、というときの不誠実
  • 約束そのものが不誠実なときの不誠実


(3)前提する
ex.「ジョンの子供はみな禿である」という発言が、ジョンに実際に子供がいないのになされたとき
→普通ならば偽
→この発言は無意味なのか?
→Austin的には「無効」となる
A1/A2との比較


陳述と行為遂行的発言の間の並行的な対応関係を認め、言語行為全体を視野の中に収めるべき。