海の響きを懐かしむ

観たもの聴いたもの読んだものの記録と、日記など

GW

私は生まれなおしている---日記とノート 1947-1963

私は生まれなおしている---日記とノート 1947-1963



GWだし、少しは重たいものを、と思って、Susan Sontagの日記と、与謝野晶子の評論集を読んだ。

ソンタグは、10代から30歳までの日記で、具体と観念が入り混じった文章だった。こんなに頭のいい人でも、ありふれた恋の悩みを持っていたんだなあという驚きがあった。意志とはなんだろう。辞書を引くと「目的や計画を選択し、それを実現しようとする精神の働き」とある。彼女は意志の力と自分の感情のせめぎあいに敏感で、意志を破壊したいという。こういうふうに、意志を「自分」から出てくるものとは全く別次元の、無意識に働く何か強い力と捉えるのは共感できる。また彼女はオックスフォード時代、 J.L.Austinの講義を受けていたらしい。こういう予想外の繋がりがあるとうれしい。

晶子さんのほうは、まさにenlightenment/empowermentってこういうことかなと。当たり前のことを当たり前に主張すること。今の「まとも」がいかに最近形作られたものであるか、その尊さを知った。(女性の参政権が認められたのは1945年からだということ、習ったはずなのに忘れていた。恥ずかしい。)

ソンタグも晶子も、芸術(文学/詩学/音楽)が趣味活動ではなく学問として認知されるべきという思いは通じていると感じた。実際ふたりともすごい量の作品に触れている。ソンタグは年に300本以上の映画を、晶子は古典とその背景の歴史を。そして学問の傍ら子どもも平気で育てる。ちなみにどちらも子育てに関する愚痴はいっさい書かれていない。(「女の一生」が思い出される)

そうやって「芸術で食う」ことへの困難さについて考えを巡らせている時に、家にちょうど清原なつのの「千利休」があった。以前茶室についてレポートを書いた時も感じたが、茶道をめぐるあれこれを探るのはたいへん面白い。茶の湯という精神的/芸術的活動は、政治と深く関わっているのがわかる。そして戦国時代の、高額な茶道具をめぐる経済システムに興味が尽きない。

明日からは積読に入っていた「茶の本」を読もうと思う。それから研究室においてあるへうげものも。

千利休

千利休