海の響きを懐かしむ

観たもの聴いたもの読んだものの記録と、日記など

選挙の開被台調査が、政治へのコミット感を得るのに(わたしにとっては)すごくいいって話

疲れたし眠いし明日朝早いんだけど、書いとかないと忘れちゃう気がするからバーっと書いとく。


参議院選挙の開被台調査のバイトに行ってきた。開被台調査というのは、各報道機関が開票速報をつくるために、その開票現場に行って、候補者名を目視で調査するというものです。いわゆる、双眼鏡を覗いて投票用紙の文字を読む、っていうアレです。昨年の衆議院選挙のときもやらせていただいていて、今回が二回めだった。


それまでの自分にとっての投票って、投票日の前日に候補者ばーっと調べて、浅い情報から誰にするか決めて、投票して、帰ってからネット見てちょっとTV見て食傷気味になってきたところで寝る、みたいなパターンだった。それがちょっと変わった。

まず、選挙当日は投票所に行きにくいので、期日前投票をする。まずこの時点で、個人として何をどう行動するかってことを、ワンクッション置いて考える。(それに、期日前投票のほうが場所の自由度が効くから圧倒的にちょう便利)で、当日の夕方に新聞社に行って、説明を受けて、割り当てられた開票所に向かう。そこで、同じ大学生とか、メディアの人とかに会って、またそれはそれでいろんなことを考える。最後に、開票後30分間くらいで実働して、帰宅する。


これだけだけど、ただの投票より、圧倒的にコミット感があるっていうか、言ってしまえば「(メディアの)中の人」として祭りに加担してる感覚がある。それは、本来投票だけで得られるはずのものだと思うんだけど、そして選挙権を得てすぐのころはそういう、関与するドキドキがあったはずなんだけど。

なんだろう。やっぱり、楽しいんですね。

その楽しさの原因は、ひとつは開票という裏の現場を目的できる愉快さであり、もう一つはそれによって金銭的なrewardが発生する、ということがあると思う。で、後者が、結構重要なんじゃないかと思っている。もちろん、投票は、権利であり義務なんだけども。でも、そこからもう一歩中に踏み込むことで、お祭り気分をより楽しめて、かつお金がいただけるという。

で、それって、1つの選挙の中に「個人としての投票」と「メディアの人としての調査」の2つの役割が存在するからじゃないかと思うんです。自分の生身と、ペルソナの部分の、二面性がある。たとえば私は、自身のポリシー上、誰に投票して、どういう政治的思想を持っているかっていうことは、ほとんど人には言わない。けれど、「開票の現場に居た」ことと、「その現場で見たことが、最終的な議席とどう結びついたか≒日本の近未来が政治的にどう動いたか」ということは、『事実』として他者に伝えることができる。たとえその票数や候補者そのものに関心がなくても、roleを果たしたというfactは手元に残る。roleがあるっていうことは、すなわちsocietyの中にいる(社交)っていうことだ。それって、すごく大事なことなんじゃないかと思う。もちろん個別具体の話題で、考えなくちゃならないことはたくさんある、あなたとわたしで意見の相違だってきっとある、けど、それ以前のもっと根本的な―つまり自分自身の生と、社会のそれとダイレクトに繋げるといった意味で―確かだと思える行為を模索することは、"あり"だと思う。


そしてそういうのも、きっと、あんがじゅまん、っていうのではないかしら。と思ったのです。