海の響きを懐かしむ

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巨人の肩の上に

生物と無生物のあいだ (講談社現代新書) トポロジーの世界 (ちくま学芸文庫)


『生物と無生物のあいだ』ドライで明瞭な語り口のおかげでするすると読めた。仮にも情報学徒としてどうかとは思うけれど、自然科学、とりわけ物理にはめっぽう弱いので、生物学に運動やエントロピーといった事柄が関与していることを初めて知った。とはいえ、chaosの中にorderがあること、生物は動的平衡を持つ流れそのものであることは、文化系な発想とあまり遠くなく、すっとなじんだ。日本語には、かりそめ、という美しい言葉があることが思い出される。


トポロジーの科学』、とてもすべてを理解することはできなかったが、トポロジーという数学をざっくりと掴むことはできたと思う。ものごとの、大枠のかたちを直観的にとらえ(カントだ!)、他のかたちと比較することで本質をつかむ学問、としてみると、なるほど自分がふだん考えていることとそう変わらない。あと、意外と帰納的で、泥臭いところがいいなって思った。高次元を理解するために、低い次元から押し広げて考えていくところとか。数学的想像力というものの意味を少しはわかった、ような気がする。


細胞生物学とは、一言でいえば「トポロジー」の科学である。トポロジーとは、一言でいえば「ものごとを立体的に考えるセンス」ということである。(『生物と無生物のあいだ』p.191)

トポロジーという1つの数学は、まず考える対象として位相空間というものをつかまえる、そして、その位相空間の間に連続写像という関係を通して、その2つを対にしてそれを考える学問、それがトポロジーであると言えるのです。こうした考え方は、ほかの場合にも役立つ考え方です。(『トポロジーの科学』p.118-119)

おそらく終始、エイブリーを支えていたものは、自分の手で振られている試験管の内部で揺れているDNA溶液の手応えだったのではないだろうか。(中略)
別の言葉でいえば、研究の質感といってもよい。
(中略)
あくまでコンタミネーションの可能性を保留しつつも、DNAこそが遺伝子の物質的本体であることを示そうとしたエイブリーの確信は、直感やひらめきではなく、最後まで実験台のそばにあった彼のリアリティに基づくものであったのだ。そう私には思える。その意味で、研究とはきわめて個人的な営みといえるのである。(『生物と無生物のあいだ』p.56)


ここが一番ぐっときた。巨人の肩の上に立って、空に手をかざし、微風を感じる、あの手のひらのリアリティ。

自分のするべきことを、頑張ろうと思った。