海の響きを懐かしむ

観たもの聴いたもの読んだものの記録と、日記など

会話を通して、その人と関係を積み上げるということ

人とうまく話せないという悩みで、最近ちょっと悩んでいる。


うまく話せないというのは、どもったり変な手汗がでたりするというわけじゃなくて、適切な会話の運び方、とくにローコンテクストな状態でのそれが得意じゃない、ということ。ガチガチのディベートだとか、エレガントなおしゃべりをしたいわけじゃなくて、ふつうにカジュアルな会話(飲みの席とか)で、言語をうまく運用できてないな〜と思う。別の意味で変な手汗が出ることはありますが。

たとえば、「Aについてどう{考え|思い}ますか」というような問を受けたときに、それに正しく返答できていない。正しい答えがある、というわけではなく、カタチの問題。「AはXXだと思います」という意味の返答をせずに、Aにまつわる個人的体験について語ってしまったりする。嫌なのは、こういう「あ、わたし、とんちんかんなこと言ってるな」という状況に、まさにそれを話しながら気づくことが多いことだ。なぜ、もう0.数秒はやくそれに気が付かないのか...。

また、自分が質問されたときはすらすらと何か言えても、相手になにも投げかけられないために、会話が発展しなかったりすることも多い。相手と、その時間を作りあげている(まさにキャッチボール)という意識が低くて、まずはストレートでアウトを取らなければ、という思考に無意識的になりがち。ほんとうに幼稚だと思う。


これは、初対面の人、ふだんあまり会わない人と話をするときに顕著になる。また逆に、会いたかった久しぶりの人と話す時などにも感じる。共有するコンテクストが薄かったり、相手にまつわる情報量が少なかったりするからだ。後者の場合、状況から推測できること(年齢性別容姿、その場所にいる理由、話し方etc)をベースに精一杯頭を働かせようとするのだが、そういうことをしても無駄な時もあるし、何よりわたしの頭ではちょっと処理しきれない。その根底には、自分を誤解されたくない、というこれまた幼稚な意識がある。


どうしてこういう悩みが出てきてしまうのか、わたしなりに考えてみる。


  • 慣れた人とのハイコンテクストな会話への依存

これは、環境に因るものと、私自身が手を抜いている部分の、ふたつの原因がある。

前者は、頭の回転が速いひとが周囲に多いことに起因する。具体的には大学とアルバイト先。研究室のメンバとは、多くの時間を一緒に過ごしてきているので、話をするときに既知の文脈を暗黙に了解しているパターンが多分にある。だけど、そういう環境に多分に甘えてしまって、いざ文脈がない人と話をしたときに、言語運用をサボってしまうことがあるような気がする。定義のゆらぎを無視してことばを選択したりだとか、ロジックを省略してしまったりだとか。

就職活動をしている時は、誰に会っても、逆に一切のコンテクストはないものとして開き直っていた。でもこれも、一期一会がほとんどだからできたことだと思うし、これから就職してまた別の立場の人に会って、継続的に関係を続けていくときに、応用出来るかどうかはわからない。長期的な視野に立つとあまり有効でない。

ハイコンテクストな会話は、気持ちがいい。1で10をわかってくれる人と話すのは、状況によってはとても色っぽいし、スノビズムも満たされる。しかしそれに慣れきってはアカンわけで。


  • リアルタイムで「現場」を構築することの難しさ


現実の会話ではエディットができない。

書き物であれば、こういうブログでもチャットでも、自分の発言を言語化して、それを任意に編集できる。例えばこの記事を書いているいま、わたしは頭から書いているわけじゃなくて、手書きの散文風のメモをもとに、上から下の段落を行ったり来たりして書いている。ある程度まとまったら、全体を引いて眺めて、文末を直したり、文章のリズムを直したりする。それと、わざと漢字をひらがなにしたり、改行を調整したりと、視覚的な微調整もする。

当然ながら、音声会話ではこういうことはできない。アホな感じだけど、これがつらい。会話にかぎらず、リアルタイムで時間が進んでいるときに上手に立ち居振る舞いを決定する感じのことを「現場感」とわたしは呼んでいて、それがとても欠けていると思う。何より書き物は、読み手のリアルタイムな反応を逐一気にする必要がない(できない)。個人的には、Twitterでバルス叫ぶのは「現場感」ではないように思うから。



この問題に関して、突破口があるとすれば、会話のペースを多少落としてでも、ゆっくりじっくりと「関係」を構築していくことなのだと思う。ゆっくりしすぎると、マイペースな感じになってしまってそれはそれでアレだけど、性急に進めようとしていい加減なことを言うよりは、はるかによいように思う。目の前の相手をよく見て、耳を傾けて、相手とわたしのあいだに、無から何かを生み出していく。その何かというのは、友情だったり愛情だったり信頼だったり、もっと言葉にできないものだったりすると思うんだけど、そういうことを丁寧にやっていきたい。

これに加えて、状況に応じた言葉づかいや振る舞いをしたいという気持ちもある。これはエッセンシャルなものではないかもしれないけれど。自分の軸がブレないギリギリの線で、相手やムードにに合わせて会話の盛り上げ方を調節できたらなーと思う。言葉は武器にもアクセサリにもなるのだから、その人にとってたのしい、心地良いと思ってもらえる会話をできるようになりたい。要はおもてなしの精神を身につけたいのだ。