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『人生がときめく片づけの魔法』は人とモノの関係を問いなおすいい本だと思う、という話

人生がときめく片づけの魔法

人生がときめく片づけの魔法


kindle買ってよかったことのひとつは、紙の書店だったら絶対にスルーしてしまう本が手に取りやすくなったこと。それは内容がすぐ想像できる陳腐なハウツー本だったり、下世話なテーマの本だったりする。それだけkindle市場のラインナップが未成熟、あるいはそういう本ばかり目につきやすい構造上の問題があって、それはそれでAmazonに改善してほしい点、なのだけれど。でも今はまだ意外な出会いのほうが多くて、とても楽しい。この本はそのうちのひとつ。ステルスじゃない、全力で営業してみる。


著者の来歴や具体的な内容はすっとばしますが、ずばり著者は「ときめくモノだけに囲まれて暮らせ、さあれば救われん(意訳)」と説いている(あくまで意訳)。全ページにわたってそれは一貫している。本の半分は、著者の実体験をもとにしたその思想の紹介であり、もう半分はそれに基づく具体的な作業内容に割かれている。

この思想(とここでは仰々しく呼ぶけど、実際そんな堅苦しいものではない)の根底にあるのが、タイトルにもある「ときめき」であり、これがこの本が発するうさんくささの原因にもなっている(少なくとも私は書店で表紙を見た最初うさんくさいと思った)。ときめきとは何か、という具体的な定義を期待すると面食らう。この本の中では、ときめき、というのはとても主観的な感情であり、それは読者(≒片付けをする人)に常に想像力を要求する。ときめきという言葉がピンとこなければ、は"グッとくる"とか"美しい"とか"萌え"とか"真実"とかに置換してよくって、その全てがおそらく正しい。私が好きなローマのアウレリウス帝は自省録のなかでこう言ってる。

「すべては主観であること。犬儒学派のモニモスに帰せられている言葉は明白である。また、この言葉の有益な点を、その真実である限り受け入れるならば、その効用も明白である。(自省録 第二章 15/岩波文庫


つまり何が言いたいかというと、この本を読むときは、読者は、自分にとってのときめきとは何か、ということを帰納的に考えながら読み進める必要がある、ということだ。


で、片付けである。この本では、片付けとは自分にとってのときめきとは何かを、モノを捨てる(つまり残すものを選ぶ)ことによって、探求する行為、ということになっている。それはすなわち、モノと人の関係を見つめ直すことに繋がる。

わたしは靴道楽で、手持ちの靴を手入れしてはそれらをずらずら並べてひとり悦に浸ったりする人間で、お金持ちになったらあわよくばマラカニアン宮殿に住んでイメルダ夫人みたいな暮らしをしたいと夢想したりするのだけど、現実に自分が持てる靴の数には限りがあると思う。季節やイベントごとの使い分け、それらのメンテナンスといった「靴の運用」をトータルに考えると、執事さんを雇わない限り、部屋いっぱいに靴を並べることなどできない。

それは洋服や本、ほかのあらゆるモノと同じで、人間一人がつきあえるモノの数はなんとなく決まっていて、さらにキャパシティは人によって違う。自分が運用可能なモノの数を正確に把握して、選んだものは愛を持って接し、選ばなかったものは感謝の気持をこめて捨てる。


(だんだんまた電波になってきたけど続けます)さらに、著者が説くのは、「いまを生きろ」という感覚だ。過去でもない未来でもない、今この瞬間を生きるしかないんだという切迫めいた生命のあり方は、「神様」の死と同時に産まれた(と思う)。そしてそれは数百年かけて浸透して、予備校講師が唱えるフレーズやアイドルの歌にまで「降りて」きた。モノと人の間には言語こそないけれど、そこには強力なつながりがある。モノとの対話を通して、いまを生きようと試みること。著者のメッセージの核心はここにあって、そしてこの本が売れているというのは、なんだか自然の結果のように思えてならないのです。たまにウワあとなるフレーズもあるけど、それをカバーするおもしろさ。



・・・で、実際に騙されたと思って、本のとおりに洋服とかばんと靴を(!)片づけてみた。とりあえずゴミ袋6つ出て、大好きな服だけが端正に並んだひきだしをみて、うっとりしている9月の夜。日テレのドラマも楽しみ。

人生がときめく片づけの魔法|日本テレビ


【MV】 タイムマシンなんていらない / 前田敦子 - YouTube

この前田敦子さんとてもかわいいいいいいいい