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海の響きを懐かしむ

さみしくはない

『マイ・ブルーベリー・ナイツ』を観ていろいろと思った点のメモ

 
 

映画そのものについて

 

  • さすがウォン・カーウェイだけあって色彩が鮮やかで美しい、蜷川実花のそれにも通ずる。タイトルカラーの紫のように、こんなはっとする鮮やかさでアメリカを描いた映画はあまりないのではないか。
  • 恋する惑星フェイ・ウォンと同じように、歌うたいで演技的に素人であるノラ・ジョーンズに素のまま演技させる芸風。珈琲時光という日本映画で一青窈が主演していたが、そういうのと似た感じか。私にはわからないのだけど、アメリカ人がこれを観たらヘタウマだと思うのだろうか?それとも、日本よりも芸の住み分けが曖昧な国だから、別になんともないのだろうか?
  • ナタリー・ポートマンの演技、うますぎて、最初彼女と気づかなかった。高貴な感じのイメージだけどああいうダメっぽい人も演れるんですね。それでもやはりノーブルな感じだったけど。
  • 一見ノラ・ジョーンズ演じるエリザベスの失恋&新しい恋の話と見せかけておいて、実は大きな喪失を扱った話しなのがミソだと思った。そしてその喪失は、決して美しくはなくむしろいびつで、後悔と損にまみれたものだ。その辺の人間ドラマはおもしろい。実際主人公の話だけにフォーカスした部分は退屈だった、映像はきれいだけど。
 
それ以外の部分としては、
 
  • アメリカは大きすぎる。アメリカ人にとって、生まれた・住み慣れた街を出て行くのは、一度死ぬことに等しいのだろう。シンディ・ローパーのPVよろしく、移動すること・すなわち人生を文字通り進めることを意味する。劇中でナタリー・ポートマンが「ベガスは遠すぎるわ」とこぼす。この圧倒的な距離感覚がアメリカを理解するのに必要な要素に思える。
  • そのような、大陸の広大さに反比例する個人の孤独感と、そこから発生する生へのエネルギーを、アメリカ人でなく香港出身の監督が描いている点もおもしろい。上記の意味でアメリカと中国は極めて似ている。
  • これがフランス映画だったら。ラストはああならずに別の展開になっていただろう。
 
結論、ノラ・ジョーンズがかわいい。ノラ・ジョーンズと付き合いたい。