読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

海の響きを懐かしむ

さみしくはない

「属性について」

ask.fmで「ジェンダーについてどんなふうに考えているか」と質問を受けたのだけど、これはかなりの難問で、あのチープなテキストエリアで卓球のように球を返すのは無理だと思った。なので飲酒した勢いでラケットを投げ捨てここに書く。ここはバッターボックスだからね。



さて、ジェンダーにかぎらず、あらゆる「属性」が本当は嫌いだ。
そしてその嫌悪は、わたし自身や他の人に対して時に行き過ぎた行動をもたらす。


たとえば、SNS上のプロフィール、所属は一切入れたくない。
電子メールの署名、名前だけでいい。
飲み屋で知らない人に話しかけられたとき、できるだけ自己紹介したくない。
その他、細かいことでも、何かにカテゴライズされることはとても苦手だ。

本当はこういうall or nothing的な思考を捨てて、もっとやわらかくなりたいが、「誤解されるかもしれない、誤解によって損をしたくない」という考えが先に立ち、なかなかできない。要は中二病なのだ。

自分がどこの誰でどんな仕事をし誰に教えを請うているのか。そういうのはattributesであってcontentsではないと考えてしまう。gender、もattributesのひとつで、それ自体と、わたし自身が何を考えいかなる行動を起こすかは、関係がない、と思いたい、と考えてしまう(まわりくどい)


実際は関係がないはずがなく、genderに縛られているからこそ、それを恨んだり、利用したりして生きているのだ。とりわけ性については、わたし自身かなり歪んだ、幼稚な考えしか持っていないと自負していて、とてもここに論理だって何かを書けるようなものではなかったりする。ただ、生物的にも社会的にも女であることを「受け入れて」、その上でどう立ち回るか、ということは24時間365日思案しているかもしれない。(ヴァージニア・ウルフスーザン・ソンタグ赤坂真理が好きなのはそのためだ)

このところしばしば自分を鼓舞するために漢気という言葉を使うけれど、それ自体は男も女も関係ない単語だと思っている。字をわざわざ分けているのはそのためで、何か乗り越えなければならない時に発揮する度胸、胆力みたいなものは誰にでもあって、それを漢気とわたしは呼んでいるに過ぎない。integrityは誰だって持てるのだ。

まだ誰も見つけていない、新しい性別になりたい。
『この世は二人組ではできあがらない』山崎ナオコーラ新潮文庫

この世は二人組ではできあがらない (新潮文庫)

この世は二人組ではできあがらない (新潮文庫)