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海の響きを懐かしむ

さみしくはない

共犯と私小説

最後の息子 (文春文庫) 春、バーニーズで (文春文庫) 上林暁傑作小説集『星を撒いた街』

夏葉社

最後の息子』とその続編『春、バーニーズで』読んだ。それから『星を撒いた街』も読み終えた。

吉田さんの文体はたしかにとてもスタイリッシュで、恐らく冊数を重ねる毎に洗練されていっているのだけれど、この一連の話はどこか私小説めいていた。
それから上林暁という作家の名前は全く知らなくて、でも「美しい私小説」と銘打たれたコピーからは誠実の香りが漂っていた。上手な言い方が思いつかないけど、教科書的な日本文学がひとつの世界だとしたら、そのパラレルワールド的な、つまりちょっと軸を斜め45度くらいにすると見えるズレのようなものを感じる文章だった。


ところで先日の旅行日記に「私だけの物語をいくつも作った」と書いた。でもそれは旅で出会う様々な人の力を借りてできあがっているのであって、一人では物語は作ることができない。それから極端な話、夫婦や恋人の間では物語は要らない、存在し得ないような気がしている。ナラティブな要素が入り込む余地がないというか。あってもそこに特筆すべき"個性"なんてなさそうだ。

逆に会社とか学校とか、社会の中で自分の物語を説明することを必要とされるときはままある。そういうとき、共犯になってくれる人が、伴侶と呼ばれる人だったり、もっと緻密で複雑な関係にある人だったりするのかもしれない。

無心というのはそういうときの徳子の状態を言うのでしょう。眼の世界を喪った徳子は、耳の世界に心を澄ませているのです。面も、そのきれぎれの曲は、決して強い調子ではなく、かぼそく、果敢ないような音の断続なのです。(中略)そしてまた、かぼそい音に耳を傾けることほど、心の澄むことはないのでしょう。
「晩春日記」 上林暁『星を撒いた街』P.144