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海の響きを懐かしむ

さみしくはない

インターネットと、レガシーかもしれないわたしと、マルチネ東京に行けなかった話

2014年の今もブログを書いてるお友だちが、ずいぶん少なくなったなあ、と思う。リアルの友人、画面越しに熱い視線を送っていたひと、そういう人の書いたものを、もっと読んで生きていたい、呼吸するくらいの頻度で。


わたしのそれよりもずっと周囲は大人になってるってことなんだろうか。いや、オトナになってるとかそういう乱暴な言い方なんじゃなくて。人生を駆け上がって、踊る場所を、遊ぶフィールドを、変えていってるっていうこと。ブログっていうフォーマットじゃなくて、文字ですらない、のかもしれない。もっと目に見えないものとか、揮発するものとか、わかんないけど、とにかく自分がいつの間にかレガシーななにかに成り果てた生き物のように思えてくる。


リキッドルームに行こうか散々迷ってやめたのも、結局勝手に同窓会を期待していたからだと思う。特定の誰かと、ってわけじゃなくて、「みんなの」インターネットとの同窓会。年をとるごとに凡庸さが++されるばかりの自分と結局向き合うことになって、勝手に一人で傷つくような気が、ちょっとだけしたのだ。(あとお金がなかった)それで、久しぶりに夜更かしした連休に思うことは、ゆっくり向き合うべきテキストが減ったってことにやっぱり帰結してくる、「古池や蛙飛び込む水の音」


ところでブログのタイトルにわざわざコクトーを持ってきてるように、何かレガシーなものを懐かしんだりする気持ちは、必ずしも悪いことではないと思う。いつも新しいものごとを求めたり、作り続けられれば、素晴らしいのだけれど、無理なこともある。過去に生きることと、失われたものを懐かしむ気持ちは厳密には違うけれど、それを明確に区別するための言葉を私は未だ持てずにいる。だから深夜にひとりごちてテキストエリアに向き合った結果のこの日記は、ぬるい自己肯定そのものなのだ。


そのぬるさをはっきり受け入れてでも、もっとみんなの、あなたの、言葉を読みたいと思う。煩瑣で、だからこそ日常とボンデージされた文章と、いつだって出会いたい。