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海の響きを懐かしむ

さみしくはない

読書(5月)

空の冒険 (集英社文庫) おもいでエマノン (リュウコミックススペシャル) 戯曲 毛皮のマリー 血は立ったまま眠っている (角川文庫)


『空の冒険』、ANAの機内誌に連載していたエッセイと短編小説の書籍版で、短編小説のほうは気軽に読めてよかった。フォーマットが決まっているので劇的な展開もないのだけれど、その分細部が優しい。
いくつか相対性理論の曲を聴いている時と同じ感覚になる時があった。例えば以下のようなの。

14:41 到着済。
彼女が乗った日広域は無事に新千歳空港に到着していた。まるで自分がどこかに到着したような気持ちになった。
(『桜桃の味』)

ここではない「現実」を現在進行形のものとして想像すること、「あったかもしれない」じゃなくて「ある」。坂本龍一の曲にもそういうのがあった。うまく言えないけどそういう感じって、インターネット的だと思う。

『おもいでエマノン』、小説を途中まで読んでいたけど、ついまんがを先に読んでしまった。


毛皮のマリー』表題作含め戯曲が5つ。昭和の日本人が描いた「ヨーロッパ」が、具現化してパラレルな別の世界に成ったような、そういう印象を受ける。良かったのは「星の王子さま」、テキストだけで破壊的。鈴木清順の映画みたいだ。(それにしても、こんなものを毎回上演していた天井桟敷は狂っている)

当時、私は代理人 Stand in ということについて考えていた。私たちは、自分の着る服は服屋という代理人にに作らせ、自分の食べる食物は料理人という代理人に調理させる。住む家は大工とか土建業者といった代理人に作らせ、誰もが、他の誰かの代理人を演じることによって社会<参加>を果しているのである。
(中略)
だが、こうした代理人 Stand in という概念が入りこむ余地をもっているのは、政治的な発想であって、いつかは「自分は、誰の代理人でもなく、自分自身である」という別の発想にとって代わられるであろう。

政治にエクスペリエンスというルビをふるか、ストーリーというルビをふるか、ということが、当時の私たちにせまられた二者択一であった。

「少女的なるものの政治学」が私の関心であり、


代理人のくだりで、『繁栄』での分業の話を思い出した。学生最後に学割で買った『繁栄』だが、さわりだけ読んで放置してしまっている。