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海の響きを懐かしむ

さみしくはない

マルイの女

今週のお題「雨あめ降れふれ」




――――――



彼女はマルイの女だった。マルイに勤めているというわけではなく、全身がマルイでできている女であった。月曜の朝はストロベリーフィールズのワンピースで出勤し、金曜の夜はジルスチュアートのリップグロスを必ず携帯した。胸元にはいつかの男から贈られたノジェスのジュエリーが悶えるように光り、それだけで女はうっとりとした夢を見ることができた。髪はキャラメルめいた明るい茶色で、少しくせのついた地毛が首元まで降下している。耳に風穴はないもののアガットで手に入れたイヤーカフが揺れていた。身長はやや低めの153cm、生まれてからもうすぐ四半世紀。女に名はないが、仮にリサとしておく。

リサの勤め先は神田にある中堅商社で、抜群の高収入とまではいかなくとも十分な金が、そう金が彼女のもとにはあった。独り身でステディな男はいなかったがそれは大した問題ではない。実際苦労はなかった。女の手には一枚のエポスカードがあり、それがある意味彼女の全てであった。

マルイの女。誰に言われるでもなく、リサ自ら、自分をこっそりとそう呼んでいた。それはほかならぬ彼女がその記号を好んでいることから明らかだった。


ある木曜の夜、いつものようにリサは仕事終わりに神田から山手線に乗り、有楽町に向かった。ピンク色のリール付き定期入れには、Suica対応のエポスカードが一枚入っている。早足で駅前広場を抜けていく。目の前にそびえ立つ、お城にも似た巨塔。浮かび上がる「◯I◯I」の、青みがかったネオン。1階のフロアはいつものように清潔で、明るく、整っており、そこに立つだけでリサは自分が何者でもなくなることができた。個性のない女。名前の無い女。若い女。リサは透明な存在になりたかった。別に消費に夢を見ているわけではなく、敢えてそのゲームに乗っているに過ぎず、マルイはその舞台装置として十分な価値を持っていた。



地下1階のシューズ売場で、リサはプライベートブランドの夏物のミュールを購入した。

「10,350円になります」

「これで」と、リサはカウンターでエポスカードを差し出した。

「いつもありがとうございます。ところでお客様、雨あめ降れふれキャンペーンはご存知でらっしゃいますか?」

「雨あめ降れふれ?なんだかいマルイっぽくないわね」

「こちら、カード会員様限定のキャンペーンにでして、3日間、30℃が続いた日にお買い上げくださった方に、特別ポイントで、てるてる坊主をさし上げております」

「まあ。なかなか粋なはからいね。いただくわ」

マルイらしからぬ情緒的なサービスだとは思いつつ、リサはそのてるてる坊主を連れて家に帰った。さすがマルイのノベルティだけあって、繊細なレースを編み上げてつくられており、首には黄色いオーガンジーのリボンがついていた。縫い付けられたビーズの眼と口がなかなか憎めない表情をしており、リサはそれを出窓のカーテンレールにそっとくくりつけて飾った。


その晩のことである。


いささか早過ぎる熱帯夜に、リサはうなだれて目を覚ました。まだ5月である。買ったばかりのミュールを明日おろしてしまおうか―――そう考えながら台所で水を飲み、寝室に戻ると、小さな女の子が、ベッドにちょこんと座っていた。レースのワンピースに、黄色いオーガンジーリボンをおさげに巻いている。きょとんとするリサに、女の子は話しかけた。

「あなたは、雨を買ったのよ。厳密に言うと、貯めたポイントで、わたしを買ったの。行きましょう」


そういって女の子はリサの手を掴み、出窓を開け放ち外に飛び出した。落ちる、と思ったその矢先、リサの身体は空に溶けて上昇し、やがて透明な雨になって霧消していった。その雨はしとしとと静かな雫になって、東京じゅうを包んだ。



翌朝、金曜日。リサが目をさますと、てるてる坊主はいなくなっており、代わりに出窓には、オーガンジーのリボンが巻かれた可愛らしいレース柄の傘が置かれていた。タグを見ると、もちろんそこにはあのロゴが――――――