読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

海の響きを懐かしむ

さみしくはない

うるわしきアルゼンチン

アンネ・フランクの記憶 (角川文庫)

アンネ・フランクの記憶 (角川文庫)


小川洋子が、アンネ・フランクのゆかりの土地や人々を尋ねた旅行記があって、そのなかにこういうことが書いてある。

アンネが手にした同じものに、自分も触れている。そのことを一瞬不思議に感じる。でも本当は、不思議でも何でもないはずなのだ。アンネはわたしと無関係な歴史の中にいるのではなく、確かに現在とつながった時間の中にいる。

小川洋子 角川文庫 『アンネ・フランクの記憶』


文字や画面の中にひろがる世界、乱暴に言えばバーチャルな景色と、目の前に実際に視えて聴けて触れるそれが交わるときというのは、人生の中でも上等に甘美で、完璧な瞬間だ。その倒錯にみずから、あるいは偶然入っていくという意味では、歴史めぐりをすることも、アイドルと握手をすることも、すべて等しく崇高であるように思う。過去と現在がひとつらなりの数珠であることを、じぶんのこころを使って、丁寧に確かめていく作業。変な話、ここ数年のわたしはそういう瞬間に出会うためだけに生きてる。


話が変わるけれど、わたしはラテンアメリカの小説が好きです、―好きといってもそんなにたくさんの作家と作品を知らないので、実際には"気に入っている"程度なんだけれど―はじめに読んだのは確か「バベルの図書館」だったと思う。ラテンアメリカって言っても広いし、厳密にはもっとジャンルがいろいろあるはずなのだけれど。それでも10代のあいだに国語の教科書で見てきたような景色とはずいぶん違っていて、大学生まっさかりだったのもあって夢中になった。その魅力をざっくり言うと、非現実感がありつつも、細部がやけにクリアで覚醒感があるところで、自分には100%コットンのカーディガンみたいになじんだ。


こういうことを言っている人がいる。

キューバの作家アレホ・カルペンティエルは、ラテンアメリカにおいては現実そのものが驚異的なので、シュルレアリストのように人工的に驚異を作り出す必要がないとのべている。

『エレンディラ』 ちくま文庫 G. ガルシア=マルケス 木村榮一訳 訳者あとがき


これがずっとひっかかっていた。まあ、アレホさんの本は読んだことがないんだけど。でも、現実そのものが驚異って、どういうことなのだろう。なにかわたしの想像が及ばないものが、あの大陸にはあるに違いない、となんとなく思っていた。
それを確かめに、思い切ってブエノスアイレスに行ったけれど、驚異の正体については簡単につかむことはできなかった。都市部にばかりいて、自然を見ていないせいかもしれないし、言語がわからないせいでもあるかもしれない。それでも、あの静かで、それでいて魔的な物語が生まれる理由について、考え続けていた。


10日ほどいて、不思議な倒錯に何度も遭った。
話されている言葉は確かにスペイン語なはずのに、歴史を感じる町並みや建造物にはかすかにイタリアの、カソリック独特のあの絢爛な匂いが立ち込めていた。(実際にイタリア系の移民が多いそうだ)しかしそこがヨーロッパではなく、まぎれもない南の国であることは、太陽の光を爛々と浴びる花や木々たちが証明していた。耳に入るのは切ない喘ぎのようなタンゴの響きで、自分がいまどこにいるのか、ほんとうにわからなくなることが、幾度もあった。


空港の入国審査で「extranjero」と表示があって、ひそかに感動したのだけど、現にあの国でわたしは異邦人そのもので、それ故にわたしだけの物語をいくつも紡ぐことに成功した。でも帰ってきた今、なんだか長い長い夢を見ていただけのような気がしてくる。


かつてヨーロッパから、遙かなる海をわたって「発見」された大陸。その数名の権力者たちの狂気に追従させられた、名も無き人々。地下鉄で、劇場で、カフェで、道行く彼らの先祖に思いを馳せてみた。彼らも同じように、夢を見ていたのかもしれない。見知らぬ大陸で夢を見続けて、生きのびるために、倒錯と幻想に満ちた街を作ったのかもしれない。

その夢は美しい、というよりも、麗しい、と形容したいと思った。生まれた国を離れて、それを夢見て生きていた彼らの瞳は、わたしが見た空と同じように、きっと澄み切っていたと想像するからだ。



f:id:mitsuba3:20140314050035j:plain

f:id:mitsuba3:20140318004451j:plain

f:id:mitsuba3:20140319004427j:plain

f:id:mitsuba3:20140320212946j:plain

f:id:mitsuba3:20140319040643j:plain

f:id:mitsuba3:20140322170330j:plain