海の響きを懐かしむ

観たもの聴いたもの読んだものの記録と、日記など

ファッションについて2015

昨年の夏以降、衣服に対してどんどん鈍感になっていってるような気がしてた。気づいたら宮崎あおいさんや多部未華子さんのブランドや、Amazonで買った得体の知れない安物服を繰り返し身につけるようになっていた。


この手の服はとにかく安くて、ぴろぴろしている。ぱっと見た目可愛らしいけれど、袖や裾のあたりから安っぽさが透けている。


こういう服ってユニクロやザラより妙に説得性があって、毎日着ていると自分が本当にぴろぴろ人間であるように思えてくる。実際に会社の中でわたしはぴろぴろのぺーぺーであったわけで、その役割を衣服においても引き受けていた。半ば自虐的にぴろぴろ人間を演出していたところも少し、ある。


もちろんそういった服でも自分の心が躍れば何も問題ないのだけど、それすらもなくただ金額だけで判断した服を着続けるのは厳しかった。結果、本当はこんな服毎日着たくないのにな、と思いながら毎朝出かけることになり、気のせいレベルで日々のパフォーマンスに影響が出始めているのを感じていた。

先の日記のマッキンゼー本に、一流のモノを身につけることの大切さが書かれていたが、身につけるものが与える、その射程距離が自分が思っているより遠いことに気づけたことはよい収穫だったと言える。



今年は、自分にとってのファッションのレベルをひとつ上げたいと考えている。と言っても高級ブランドばかりを身につける、という意味ではなくて、ファッションをコミュニケーションツールとして捉えればもっと自由になれそうな気がする。つまり「着たいものを着ればいいじゃん」の季節はとりあえず一旦おしまいということだ。

一方的な自己主張でもなく、他人が持つのイメージや役割を受け身に表出するのでもない、なんというかしなやかな感じで、着るものを選べないだろうか。

年末、久しぶりに会った友人が「30歳に向けて、できるだけシャツとジャケットを着ることを心がけ始めた」と言っていて、近いことを考えているなと思った。

自分という人間と、外部環境と、その関係性のゆらぎのなかの創造性。つまり社会を生き延びるための振る舞いの獲得、みたいなこと。身なりに限った話ではないけれど。



衣服についてのより具体的な実践としては、今年はボトムスに金をかけると決めた。

子どもの頃、服といえばほぼイコールトップスであった。例えばフリルのついた袖やキャラクターのプリント。それが自分のファッションの核である、というノリをずっと引きずってきた。しかし20代後半の今、大切なのは


アウター&靴→ボトムス→トップス

の順である気がしている。(この点において、ワンピースって後半一気にカタをつけられるので最強)

それから、今までは色や柄を最重視していたけど、真に注意すべきはカタチでは…と考えを改めつつある。

変な柄や派手な色の服、たくさん買ってきた。もちろんまだ好きなものはあるけど、その選択はある部分では、若さ/今以上の空虚さに依るものだった気もしている。

形の良いスカート、清潔なストッキング、きちんとサイズ調整されたズボン。そういう感じで、投資の対象を意識してみたい。