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海の響きを懐かしむ

さみしくはない

石川美子『ロラン・バルト』と安藤宏『「私」をつくる』

多和田葉子『エクソフォニー』、そして今井むつみ『ことばと思考』と、言葉に関する本を引き続いて読んでいる。あちこちで良い評判をきく『ロラン・バルト』(中公新書)では、バルトの生涯をなぞりつつ、その著作と思想をわかりやすく紐解いてくれている。筆者はバルトを何冊か訳している文学者のようで、細かいニュアンスからその愛が漏れて伝わってきて、その丁寧さも良かった。


文学にめざめた青年が、紆余曲折を経て30代後半に「零度のエクリチュール」でデビューし、ソシュール言語学と出会い、日本という国と俳句に影響を受ける。そこまでは知っていたけれど、晩年、小説を書こうとしていたことは知らなかった。日本に魅せられた理由は、短いセンテンスの中で「主語」を排除した日本語表現、その「意味の中断」にあるのだという。批評家は「彼(=主体)」を書くことはできないからと、物語を避けてきたバルトが、最愛の母や大学の人々を思う生活の中で、最後に小説を書きたい、と渇望したことは興味深い。


読了後、つづけて『「私」をつくる』を読み、この話題が意図せずに地続きしていて、うれしかった。明治以降、日本文学を近代化していく中で、「主語=語る主体」を言文一致体の中にいかに自然にとりこんでいくか、稀代の小説家たちのこころみについての本だった。―バルトとはまるで真逆の方向へ―、日本文学は語り手としての「私」と「彼」そして仮想的な読み手としての「あなた」を構築してきた。それが日本の「小説」をアップデートしていくことだった。


自分も小説を書いてみようと試したことは何度もあるけれど、ある主体がすってんばったんするような”物語”はなかなか書くことが難しくて、どうしても散文的な、「意味の中断」的なものになってしまう。バルトと自分を重ねるのはおこがましいけれど、今あせらなくても、人生経験を積んでいけば「今なら小説が書けるかも!」という瞬間がくるのかなあ、と考えた。


ことばと思考 (岩波新書)

ことばと思考 (岩波新書)