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海の響きを懐かしむ

さみしくはない

ジュンパ・ラヒリ『べつの言葉で』/河野裕子『たったこれだけの家族』

母語以外の言語で読み書きすること、
ふたつ以上の言語を使う環境に身をおくこと、を、あいかわらず気にしている。
ろくに外国語ができないという恥を今年こそは乗り越えたいと思って、
短い英語の日記をつけてみたり、
亀のようなのろさで英文小説を読み切ろうとがんばったりしている。


ネット上では、文化系ソフトウェアエンジニアことantipopさんも
このテーマに関心を持っておられるようで、ポッドキャストTwitterでも
たびたび言及されていて、興味深く見聞きしている。
第8話 べつの言葉で - antipop.fm (あんちぽえふえむ)


ここで紹介されている『べつの言葉で』を、思い切って購入してみた。
発売直後から気になっていたけど、新潮クレスト・ブックスは高くて
なかなか食指がのびないので、こういうきっかけがあると良い。


ラヒリさんは、英語という「継母」とベンガル語という「母」から外に出て
イタリアと、イタリア語のなかに移住する。
けれど、そこに断絶があるわけではない。
むしろ母語でなんでも表現できるでしまうことの不自由があるからこそ
自分の意志で選んだイタリア語でより自由な表現ができるという。


この三つの言葉が、三角形に例えられている。
テンションを張った一本線だった英語とベンガル語
イタリア語が投げ込まれ、「三角関係」がうまれる。
そして、そのかたちは動的に変化し続ける。

(三角形の中の)空白こそ私の原点であり、運命であると思う。この空白から、このありとあらゆる不確かさから、想像への衝動が生まれる。額縁の中を埋めたいと思う衝動が。


テーマを外れて一休みのつもりで読んだ河野裕子さんのエッセイでも
前半で「ことば」が据えられていて、思いがけずうれしい。
(最近こういうことが多い。目的を持って読書していると本の神様に愛されるのだろうか)


河野さんは、自発的に移動したラヒリさんとちがい、
夫の仕事の都合で、小学生の子どもを連れてアメリカに移住をする。
子どもたちは慣れない現地校でいろんな経験をし、
彼女自身も英語社会に入ってゆこうとのびやかに努力をするが、
河野さんの言語的に自身を見つめる作業は、よりストレートに孤独に直結する。

異文化の中で、外国語ばかり聞こえてくる中で、私は『万葉集』と共に孤独だった。
(中略)私は、母国語の中でしかものを感じ、考え、表現できない人間なのだと思うことには、自分のありかを見つめ直すような何かふしぎな感銘があった。


あるいみ相対する二冊だが、ことばの中に自分を見つける、
という意味ではおんなじだ。


この後は、読むのを温めておいた『トルコのもう一つの顔』と
昨日買った温又柔さんのエッセイが控えているので楽しみ。
あと、昨日読んだ新聞記事で、イーユン・リーさんに興味を持ち始めた。

折り合う米中の明日 作家イーユン・リー :日本経済新聞
イーユン・リー氏 「日本製ボールペンに驚いた日」 :日本経済新聞


べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)

べつの言葉で (新潮クレスト・ブックス)