海の響きを懐かしむ

観たもの聴いたもの読んだものの記録と、日記など

読まなかった本たち

積読」していた本を、思い切って処分している。
ほとんどは、内容には興味があったものの、
上手く気持ちのベクトルが向かず読みきれなかったり、ページすらめくろうとしなかった本たち。
いつか・・と思っていたけれど、その時は決意しなければ永遠に来ないような気がした。


本棚に、キッチンに、クローゼットの奥に、その本たちはいて
読まれた本と同じように私の部屋で呼吸をしていた。
そのうち数冊については、ページを捲る行為こそしなかったが
確かにこの部屋で私と同じ空気を吸い、
そのタイトルや、装丁や、厚さによって
読書生活を一瞬でも豊かなものにしてくれた。


先月読んだ『罪と場を読まない』や
『本屋になりたい』の中でも言及されていたけれど、
何を持って人は本を読んだといえるのだろう。
その本を手にした時の心の高揚とか、
どんなお話なのか想像したこと、
それが自分の心の中に残っていればそれは
「読んだ」ことになりうるのか、どうなのか。


そんな気持ちで整理をしながら『女のいない男たち』を手にとって、
最後の表題作だけ読んでみた。
予想よりも読みやすく、短編であるせいか肩の力も抜けている印象で、
短いならも心動かされた。
今日のこの日に読むために、ずっと積ん読してきたのだなと思えた。


同時に、村上春樹的な切なさというものは
なんと危険で、悪魔的なものであることだろう。
例えば、首を絞められることが痛みであると同時に快感である人がいるように
『女のいない男たち』のそれは、恍惚的な花吹雪の中に迷い込んだと思ったら
気がつくとそれらは鋭い刃に変わっていて、体じゅうをざくざくと切られている。
この痛みなのか快感なのかわからない「感じ」が、
現代人には劇薬のように効くのかな、という気がした。


女のいない男たち

女のいない男たち