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海の響きを懐かしむ

さみしくはない

ヴァージニア・ウルフ『波』

読書

波 (角川文庫)

波 (角川文庫)


友人が、ある古本屋に連れて行ってくれた。住宅地の中にひっそりとある小さなお店だ。壁づたいにぎっちりと本が詰まっているのに、空間は明るくて清潔で、そこはかとない文化の香りに満ちている。その店でヴァージニア・ウルフの『波』を見つけた。ウルフの本はそれなりに読んでいるはずだけど、これは知らないタイトルだった。



『波 / The Waves』は、まるで隅々まで手入れの行き届いた別荘地のミニホテルのような、美しい作品だ。


こじんまりした空間を見渡す。するとそこかしこに、ステンドグラスや大理石の彫刻のように、きれいに磨かれた言葉が鎮座している。真鍮でできた窓の外に目をやると、人ひとり影はなく、どこまでも海と空が広がる。読者はそれをうっとりと眺める。時間からも空間からも切り離された場所へ飛んでゆく。陶酔。


筋書きはあって無いようなもので、小説というより、長い長い詩に近い。6人の男女が登場する。彼らの独白が、青春時代から中年になるまで、カエルの歌のように輪唱される。意識が、さあっと波紋のように連鎖し、あとには白い砂がわずかに残る。


途中、7人目の登場人物が現れるが、その人はけっして言葉を発しない。断片的な語りの中、ときおり神のように登場する。似た構造として『桐島、部活やめるってよ』を思い出す。



読後、なぜか、『ダロウェイ夫人』や『灯台へ』よりも、ウルフそのひとを強く意識した。作家の死から70年近く経っても、彼女が書き残した神経質な言葉たちは変わらずひんやりとした温度を保ち、息をひそめている。人は死ぬが、芸術は残る。そういう当たり前のことが、泣きたくなるほどの奇跡なのだと、この本は教えてくれる。