海の響きを懐かしむ

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『グレイテスト・ショーマン』の感想と、「正しさの受容」について

グレイテスト・ショーマン」、音楽は最高だった。アレンジはクイーンやマイケル・ジャクソン風味で全体的に80年代な感じが楽しいし、カラフルな歌とダンスが次々たたみかけてくる感じは今っぽい。ほんとうに音楽は良かった。だけど、まったくカタルシスを感じられず、エモーショナルな気持ちにもなれなかった。そのことについて、自分なりにまとめておこうと思う。


ちゃんと調べたわけではないが舞台はおそらく1930年代のアメリカ。ヒュージャックマン演じる実在する主人公は、貧しい出自や世界恐慌などの背景を乗り越えながら野心を抱いてショービジネスを拡大させていく。彼のサーカスの演者として、黒人や障碍者、その他さまざまな身体的特徴がある人々がスカウトされ、さまざまな障害を乗り越えながらサーカスは大成功を収める・・・といったシンプルなストーリー。


まあ、まずシンプルすぎた。主人公が前向き男すぎて、サクセスストーリーとしてはちょっと入り込めないな、歌がいいからいいけど、という感じになる。


そして群像劇としてもちょっと弱い。「個性を持った」人々がたくさん登場するのに、彼らに与えられているのは「人の目なんて気にしない。私はわたしらしく堂々とするわ(This is Me.)」という主張のみ。いろんな個性が交じり合っているのがポイントなのに、この「外部(≒白人社会)への対峙」という面が強調された結果、それぞれの人物の良さが翳ってしまっているように感じた。


映画全体を覆う「差別や偏見をみんなで一緒に乗り越えよう」という同調圧力にも似た空気感にモヤっとした。そしてフィーチャーされる「個性=人とは違っている部分」というのが、わかりやすい外見的な特徴だけなのも気になった。一応実在したサーカスみたいなので、史実に準ずる、ということで人選については仕方なかったのかもしれない。しかし「違い」がもたらす現実的な感覚というのはもっとまだらで、うまく言えないけど、繊細なものだと思う。


作曲家が同じということで「ラ・ラ・ランド」と並べて語られているけど、あの作品のように「きれいな白人社会」を描くことと、「グレイテスト・ショーマン」の描く”人間の違い”とその”正しさの受容“というのは、表裏一体なんじゃないか。


まー、超アメリカっぽいよねー、と言ってしまうとそれまでなんだけど・・・アメリカ的な正しさ、あるべき善意、そういうものを押し付けられた気がして最初から最後まで冷めてしまった。この「差別」の物語をこのまま受容してよいのだろうか・・・歌は最高なのに・・・とモニョる。


この冷めた感じは12月のスターウォーズにも感じていて、あちらは正しさを追求したあまり、元来の「スターウォーズらしさ」がないがしろにされた挙句キャラクターの扱いが雑になってしまった、個人的には最悪のSWだったと思っている(好きな人は本当ゴメン)


二作だけで判断するのは軽率かもしれないが、もし今のハリウッド映画がこういった「正しさの受容」を掲げる方針に向かっているのだとしたら、なんかつまんないな・・・と思ってしまう。


「アカデミー最有力」のコピーがコケてしまったらしい「デトロイト」は、ポリティカルな主張も強かったけど、違いがもたらす現実を見ろと水をかけられたようで、かなり良かった。これが賞レースに乗っていないのが、なぜ、という気持ち。「スリー・ビルボード」はちょっとわかんなかった・・・。


おもしろけりゃいいじゃん、というのはあるけれども、「グレイテスト・ショーマン」については、音と映像の今っぽさと、物語的「正しさ」が、すごくアンバランスな作品だったなーと思うのです。これが1980年代くらいの映画だったらいいんだけど、2017年(本国公開)っていうのがややビビる。


いろいろ書きましたが、来月の「ブラックパンサー」と今週末の「ビッグ・シック」はどういう「違い」と「正しさ」の描き方がされているのか、楽しみにしてます。