海の響きを懐かしむ

観たもの聴いたもの読んだものの記録と、日記など

コミュニティのメンテナンスと、こんまりさんと、「茶会のマダム」の実現について

先日、レトリカ4の刊行イベントに参加して、色々思ったことがあったので、それを書いておきたい。ちょっととりとめないですが。


イベントは第1部と2部に分かれていて、第1部では、レトリカ4のコンセプトである「棲家」について改めて説明がなされたあと、そのケーススタディとして津和野での高校生の下宿運営DESIGNEASTというイベントの事例が紹介されていた。

その中で、人間たちが集って何かを作っていくにあたり、その集まりを都度都度メンテナンスして行かないといけないよね、という議論がなされて、これが自分にとってとても興味深かったというか、考えさせられた。


というのも私はとある場所で発行されている小さなミニコミ誌にずっと寄稿をしていて、一時は編集作業もやっていたのだが、それが最近立ち行かなくなってしまった、という話を聞いてきたばかりだったからだ。うまくいかなくなってしまった原因はいろいろあるのだが、話を聞く限り、その手間とコストにみんな消耗してしまったようだった。私は中心的な関わりから離れていてはいたものの、精神的な拠り所のひとつだったので、それが失われてとても残念に思っていた。つまるところ、組織のメンテナンスがなされずに、「つくること」が主たる目的になってしまったのだと考えている。

これはとても難しくて、未だ答えを出せていないのだが、イベントの中で瀬下さん id:seshiapple がおっしゃっていた、「普段のメンテナンス行為をメディア化」これがすごく刺さった。そしてその事例としてぱっと思い浮かんだのが、こんまりさんのことだった。


私自身2013年にこの本を読んで実際に片付けを実践し、そのままメンテナンスをしているのだが、捨てられないものこそ多いものの、いわゆる汚部屋からは脱して、何がどこにあるか即座に把握できるくらいの部屋にはすることができた。これは個人の片付けという行為だけど、こんまりさんはときめき=Spark Joyという概念を導入することでその行為を劇場型というか、ドラマティックなものにした。

このこと自体はよく言われていると思うのだけど、それを組織の中に導入するにはどうしたらよいのか、その一つの答えが先の「メディア化」で、それが極まったものがNetflixの番組なのだと思う(まだ見ていないのだが)。瀬下さんからはさらに「こんまりさん=ソクラテス」説が出て大変おもしろかったのだけど、組織の中で定期的にSpark Joyを起こしていかないと、やっぱりみんな消耗してしまう。し、そのためには機運をあげてくだけじゃなくて、何かもっと別の仕組みが必要―そんなふうにあれこれ考えたのだった。


ところで私はここ近年、「将来の夢は茶会のマダム」とよくいっているのだけど、冗談ではなくこれは本気でそうなりたいと思っている。お茶会というのは「不思議の国のアリス」に出てくるアレで、要は彼らは一年中とにかく祝っていて、リスペクトを示してくれた人のことは誰でも受け入れてくれて、かつ微妙にクローズド、という世界観だ。この祝祭感と微妙なクローズド感は、「棲家」に通じるものがあるなあと今回感じた。まあアリスのやつは、毎日がお誕生日じゃない日(unbirthday)と言ってばっかりだけど、あれは要はSpark Joyみたいなものだと思っている(雑?)

で、私はいまウルフ本を作っているけれども、その中で擬似的に茶会のマダムになろうとしている。紙面という閉じられた場所で、ホストのおばちゃんになろうと試みている。本は頑張ればできるだろう。問題はその先だ。燃え尽きずに、人を変え場所を変えながら、メンテもちゃんとやるマダムでありつづけるにはどうしたらいいか、作りながら考え続けている。


↓アリスに登場するマッド・ハッター。この人はおじさん(おじいちゃん?)だが、毎日茶会をホストしている。